大学での勉強に意味はある(後編)

Syumirun!ライターのカブさんです。前回に引き続き、大学での勉強の意味について論じていきます。

大阪大学工学研究科の安田誠教授がある講演で言っていた。

「知識の限界を上げることによりものの見方は変化する。」
知識レベルが上がってものの見方が変化したことは、誰にでもあるはずだ。
例えば、“ONE”という単語を…

初めて見たとき、
「記号が3つ並んでいる」

ローマ字を習ったとき、
「尾根」

英単語を勉強したとき
「ワン」

初見で“ONE”を「ワン」と読める人などいない。

だから、今日僕たちがONEOKROCKをワンオクって言ったりONEPIECEをワンピって言ったりするのは、知識の限界が上がったからだ。
大学の勉強に意味はないと感じるみんな、知識を深めることで確実に世界の見方は変化していく。

少しアカデミックな話をすると、環境経済学について身を入れて勉強することであらゆる食料の供給に関して、水という共通の尺度で考えられるようになる。(これをバーチャルウォーターという)

会計学をきちんと学ぶと、日本に382万社存在する企業を財務諸表という共通の尺度で比較できるようになる。(ちなみにこれは簿記2級レベル=学習時間150~200時間で十分可能に)

そして、バーチャルウォーターは環境経済学の理論の一つに過ぎないし、財務諸表の比較も会計学の一分野に過ぎない。

これですら氷山の一角なのだ。

学問の本質は世界を見る新たな視点を手に入れることであり、そこに最大の意味がある。
知識のレベルを引き上げることによって、景色は変わる。

大学の勉強を初めから放棄することは、“ONE”をいつまでも「尾根」と読んでいるようなものだ。 (終わり)

カブさん