大学での勉強には意味がある(前編)

Syumirun!ライター1の硬派と言われている私カブさんが前後編にわたって取り上げるのは、全学生必見「大学での勉強の意味」についてです。

数回授業に出て「大学での勉強に意味を見出せなく」なり、「自分のやりたいことをやる」ために学習時間を削ってバイトでの資金作りに充て、「旅に出て世界の広さを実感しました」といった内容をSNSで発信するのがもはやパターン化している今日。

そして、大学をサボって課外活動を頑張る学生が「意識高い系」として取り上げられる。

ある程度名前が通った大学には「学生起業家」がいる。正確には「大学に籍を置いているだけの起業家」がほとんどだけど。
確かに、大学で座学を受けているより、イベントで集客したり、世界を旅したり、ネットであったとしてもビジネスやった方がすぐに社会で生きていく力がつくし、そもそもカッコいい。

スティーブ・ジョブズもスピーチで「リード大学での勉強に価値を見出せなかった。6ヶ月で退学したが、振り返ってみるとこれまでにした最良の決断のひとつだった。」と言ってたしね(笑)

だから否定はしない。僕の友人にもそんな積極的な学生は多くて、彼らと一緒にいると楽しい。
でも、「数回の授業で大学の勉強に意味を見出せなくなる」意味は分からない。

いや、正確には何も知ろうとしないで価値のないものと決めつけて、そして捨ててしまう思考回路が全くもって理解できない。

数回の授業で扱うのは深遠な科学の氷山の一角に過ぎない。
大学の授業はその先の広大な世界の氷山の一角に過ぎない。

「世界の広さを実感しました」って言ってるヤツはまるで世界の広さを実感していない。 (続く)

カブさん