10分で分かる文系科目を勉強する本当の理由

 

大学で勉強していてふと思ったことがある。

 

「文系科目(人文科学)って一体どんな役に立つのだろう?」

 

こんな素朴な疑問を文系の人なら一度は考えたことがあるだろう。理系科目(自然科学)で学んだことはそのまま就職する際に技術者として役に立つ。しかし、社会学、哲学、文学などの人文科学は社会に出ても役に立ちそうにない。せいぜい教職や公務員試験で役に立つ程度だ。

しかし、昨今、ビジネスの場において、注目されるようになった人文科学。ビジネス書の棚には、アート思考や、デザイン思考、センスメイキングの本が立ち並ぶ。これまでビジネスに必要なスキルと言えば、MBAなどの経営学、ロジカルシンキング、STEMと呼ばれる自然科学系の学びだった。
では、なぜ人文科学系の学びが脚光を浴びるようになったのだろうか。この問いにできる限り分かりやすく簡潔にまとめてみた。文系科目を勉強する意味が分からない人の一助になれば幸いだ。

 

以下の書籍を参考にしたので時間のある人はぜひ読んでほしい。なぜ文系科目を勉強するのか、この難しくも文系には不変の課題にスッキリと答えてくれている。

『センスメイキング―本当に重要なものを見極める力』
クリスチャン・マスビアウ:デンマーク、コペンハーゲンで社会科学的アプローチを得意とするコンサルティング会社Red Associatesの創業者。政治哲学などに造詣が深く、過去にはLEGOなど企業を手掛ける。

『ストーリーとしての競争戦略』
楠木健:一橋大学の経営学の教授。これからの時代の新しい競争戦略を提示。「好き」なことを仕事にするというスタンスに立ち、それを論理的に解説している。将来好きなことを仕事にしたい人と考えている人はこの著者の本を読んでみると新しい発見があるかも。

『ニュータイプの時代』
山口周:ビジネス書「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」の著者。ビジネスにおけるアートや、デザイン、美意識の可能性を探求する著書を多く出版。なぜ今アートなどの右脳的能力(センス)が必要なのかを分かりやすく解説している。

 利便性の成熟 ∼ニーズの枠組みの変化∼

現代は、文明の発展・成熟により、市場が求めているものが「利便性、効率性、最低限度の文化的生活」から次のステップへ移行しつつある時代にある。戦後から現代までは市場が求めるのは「利便性、効率性、最低限度の文化的生活」であった。戦後、人は自身の身の安全が確保されるようになると利便性を求め、それが満たされると、文化的な生活を求めるようになった。その分かりやすい例がテレビ、洗濯機、冷蔵庫の俗にいう三種の神器である。その頃の人は、普段の生活をより楽にするものを求め(つまり冷蔵庫、洗濯機)、そして娯楽(つまりテレビ)を求めた。そして現代では、テレビ以外にもYoutubeや漫画、NetFlixなどが現れ、娯楽が飽和状態になりつつある。人はどこまで行っても理想を求める生き物なのだ。

ニーズ、欲求に関して「マズローの欲求5段階」が有名なので調べてみるとよい。現代はマズローの欲求5段階を全て満たし、そのピラミッドの先に来ていると言われている。それについてもマズローは見解を示しているので検索してみるとよい。

(Photo by Florian Wehde on Unsplash)

 

 自然科学の限界

このような時代では、利便性や効率性はもはや重要視されず、「いかに楽しいものであるか」「いかに人を充実させるものであるか」が大きなニーズとなってくる。こうなると、自然科学系の学びではカバーできなくなってくる。なぜなら自然科学系は、技術に強く、利便性や効率性と相性がいいものの、「その技術を通して、何を楽しませられるのか」「その技術を用いて、人の何を充実させることができるのか」という問いに対しての解答が用意できないからだ。

 

 より大きな問いを考える

そこで、単に「便利だから売れる」ではなく、「何を充実させられるのか」という、より大きな枠の問いに答えるべく、注目されたのが人文科学である。人文科学には、文学、哲学、社会学、心理学、歴史学などがあるが、総じて考えているテーマは「そもそも人とは何か」である。人が本当に欲しているものを知るには、人について探求するほかない。昨今デザイン業界では「顧客中心」から「人間中心」に移行しつつある。これは、顧客を単に観察する対象としてしか見ていないことへの危惧である。顧客は、単に統計的に観察する対象ではなく、リアルに生きている人そのものである。

(Photo by Adolfo Félix on Unsplash)

 

 人文科学の問いの難点

しかし、この「人とは何か」という問いには、一つ難しいポイントがある。それは数学や物理学などのように万国万人に共通する「不動の明快な答え」がないことである。技術プルの時代では、評価軸は、「正確さ」「速さ」「効率性」であり、誰でも測れる確かな評価軸があった。(であるがゆえに競争が発生しやすくなり、技術主義に陥る可能性が高まる。現代の家電の機能過多はここからきていると考えることもできる)しかし、人文科学の問いは往々にして、そのような評価軸や明確な答えはなく、世間でよく言う「答えのない問い」なのである。(立命館のデザインマネジメントラボが研究しているデザイン・ドリブン・イノベーションは、評価軸を自分達が考え、再解釈することでイノベーションの可能性を探る方法である。経営学部生ならデザイン経営の授業で学ぶことができる)

 

 答えのない問いへ

学問を学ぶことには段階が二つあり、一つが「ネーミングを知ること」、もう一つが「そのネーミングされた事象をリアル(目の前の現実)まで想像できること」だ。前者に関して、学問はあるこの世で起きていることをネーミング(名前を付ける)することで議論しやすいようにし、その事象を問題として捉えられるようにする。そのことでモノゴトを見る際の一つのフレーム、意識を持つことができる。(何の意識もなくモノゴトをみたところで何も得られない)しかし、そのネーミングされたものを単に覚えるだけでは何の意味もない。むしろ、後者の、この世で起きていることを自分の頭の中で「リアルに想像できる、描くことができる」ことの方が重要だ。そのことでリアルに人の生活や価値観を描くことができ、人を教養的にみることができるようになるのだ。人文科学を学ぶとはこの両輪を学ぶということなのだ。

そして「学問でネーミングされたコトをリアルにおいて理解する」方法の中でもおススメなのは、映画を観たり、音楽を鑑賞したり、小説を読んだりすることだ。映画や小説は、文章だけの抽象的な学問と違い、分かりやすい具体的な情景を頭の中で描くことができる。もし、昭和時代の働くことに対する当時の価値観を知りたいなら、「ハケンの品格」や「東京ラブストーリー」を観れば、その当時の考えを分かりすく、しかも楽しんで理解することができるはずだ。また映画や小説はある意味この世界のパラレルワールドと捉えることもでき、思考実験が可能なのだ。そのことで、実際に足を運んで聞き取り調査をしなくてもその場で想像することができる。

(Photo by Simon Migaj on Unsplash)

 

 学びのパラダイムシフト

このように、人文科学とは小難しい用語を学ぶだけでなく、それをリアルの場で楽しく理解する学問である。そして、そのことが「人とは何か」「充実とは何か」を考える上でのヒントとなる。昨今「教養」というワードがビジネスの場においても流行っているが、教養とはそもそも、専門分野を越えた横断的な学びのことだ。だから学問という枠を越えて映画や音楽を楽しむことも立派な学びの一つだろう。しかし、単に映画を楽しむだけではなく、その映画などの背景に、人文科学の問題や問いを照らし合わせて鑑賞すると、より深い洞察を得ることができるのは間違いない。

(Photo by Diego PH on Unsplash)

 

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